北欧タングラー

スウェーデンに住む日本人CZT(ゼンタングル認定講師)によるブログ。ゼンタングルや本のこと。

ゼンタングル? アート? 価格?

私が尊敬をする、本業の会社のしゃちょさん。いくつか会社を持っていますが、その一つがアート関係。高いアート作品を買い取って売る… そんなことをしています。なので、所有するアート作品は100を超えていて、一時期オフィスも凄いことになっておりました。

今でも、私が毎日仕事をしている部屋には2メートルを超える大きな絵が一枚、あと、組み立てると何かの作品になるものがダンボールの中に入っています。謎、笑。あと、ウサギの剥製もアート作品として飾ってあります。前は、トランプのカードが積み上げられていた作品もありました。見たら「ギャー!」ってなった絵も、笑、ありました。どんな絵なのか知りたい方は教えますよ。

↓高さ2メートル超える作品の一部分

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数年前、オフィスに何やら分厚い古めかしい本が届いたんです。手袋と共に。でもよーくみたら本ではない…でも本の形をしている、何かと思ったらそれもしゃちょさんが買い取ったアート作品で、調べてみたら日本円で150万円ほどするものでした。手袋はそれを触るときに使うものでした。(ちなみに、アート関係の仕事は私の本業とは全く関係ありません。しゃちょさんの他の会社の住所と今のオフィスの会社が同じなので、物が届く、というだけです)

 

私には「芸術」が何だかわかりません。美術館で見るまっさらな紙に黒の点が描いてあるだけの絵。「え、これ、私でも描ける? なに? 200万もするの? 1000円払ってもいらない、これ」

そんな感じです。でも、例えば大好きなマリメッコの、わーー! と自然と反応してしまう好みの模様の描かれたスカート。3万円? 買う買う!

200万円と3万円ではお金だけの価値で言うと、200万円の方が上です。でも、その価格のついた「もの」の価値は、自分の中では後者の方が確実に上。

 

芸術とかアートの値段ってそんなもんだなと思います。数字で上下(うえした)が決められていても、受け取る側の中にある価値観によって、そのものの価値が変わる。そしてその価値は一つではない。

 

私の中で「芸術」とは、自分自身を表現すること、その場、そしてその作品。また、何かのメッセージを伝える、と言う表現手段。私は自分自身を「生きる」という以外で表現することができないので「芸術」というのは恐れ多い言葉でもあります。何かのメッセージを伝えたいのであれば、作品を作って伝えるよりも言葉の方がいい。なので、アート作品を通して自分を表現したり、何かのメッセージを伝えられる人をとっても尊敬します。

うちにはゼンタングルの作品を飾っていません。人からいただいた1枚だけ、その気持ちが嬉しかったので飾っていますが、ぶっちゃけ言いますね。はい、言っちゃいますよ。

 

私、ゼンタングルの作品に描かれている多くの作品の絵、自分の中での好みの絵ではないんです。どちらかというとシンプルでモダンな感じが好み。日本で言われる「北欧のデザイン」だとか、ドイツのバウハウス、大好きです。マリメッコ、10 gruppenとか。10 gruppenはIKEAに買い取られましたが。

うちに飾ってあるポスターも、そんな感じのものばかり。見ていて幸せになりますから。

オフィスのデスク前に飾ってあるポストカードとかはこんな感じです↓ 

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でも、だからといってゼンタングルの絵が嫌いなわけではないですし、ただ好みではないだけなんです。ごちゃごちゃした感じが苦手で。あ、中には鳥肌立つぐらいの作品ももちろんありますよ。大好きなタングルも山のようにあります。でも例えば「ゼンタングル」で画像検索をして、そこにある絵をプリントアウトして飾るか? と言われたら、ノーです。

ただ、何度もいいますが、それでも自分でもゼンタングルの作品は描くし、描き続けるし、描いているのは楽しいですよ。楽しすぎます。人の作品を見るのも大好きですよ! じゃなきゃ読書の時間を削ってまでも描いてません、苦笑。

 

なぜ描くか?

 

それは描くプロセスが楽しいからなんですよ! 描けなかった模様が描けるようになると、嬉しいし自信もつくんですよ。そして描くことによって繋がる人との交流がとっても楽しいんですよ! 人が描くプロセスのお話を聞いているのも、とっても楽しいからなんです!

 

そう、私の中でゼンタングルって、結果ではなくてそのプロセスなんです。絵心がゼロだからこそ余計にそれを大切にしています。ゼンタングルの基本でも教えますが「プロセスを大切にする」これがゼンタングルに夢中になっている理由なんです。

 

展示会にも一度、作品を2つほど出させてもらって、それはとても感謝ですし、見ていただいた方にはとても感謝しています。でも、その作品を描いている時に…やっぱり違う、と感じたんですね。見せるために描く自分がとっても嫌だったんです。自分はアーティストでもないのに、なんで結果を意識して描いてる? って。なので、多分二度と展示会というものに出すことはないと思います。

でもだからといって、作品を人に発表するのってゼンタングルじゃない! と言っているわけではありません。その方は人に見せたい、見てもらいたいから発表する、それはそれで素敵だと思いますし、逆に尊敬します。すごいと思います。ただ、私はアーティストではない、ということです。

 

何が言いたいかというと。

私が思うに。

何度もさっきから言っていますが「芸術の価値とは、受け取る側の価値によって決まる」。だから、芸術を発表する人間があーだこーだいっても、意味はないのではないか? と。ピカソが描いた一本の線が描かれた絵が500万円で売られていても、それを高いか安いかは見る人の見方によって価値が変わりますもんね。それに、ピカソ本人が生きていたらもしかしてタダであげるよ、なんて言うかもしれませんし。

そして、私が実践をしている「ゼンタングル」は私の中では芸術ではありません。言い切るのは不安ですが、今の思いでは…違いますね。

でも、屋号のカテゴリー登録には「アーティスト」しか当てはまるものがなくて、渋々そうしております。が、芸術家だとは全く思っていません。あくまでもゼンタングル手法をインストラクターする講師です。

でも、私からゼンタングルを学んだ方が、自分で描いた作品を芸術と呼んでくださっても構いません。それはそれぞれの方の考え方もあるし、価値観もあるでしょう。それに、芸術作品ができた、描けた! と自分で気づくことによって自信がついた、というのであればそれこそ私にとっての本望です。

 

しゃちょさんが買った150万円する本のアート作品。私の中では価値はゼロです。でも、ゼンタングルを通して得たものや気付きはプライスレス。お金では計算できません。自分にとってどちらに価値があるか?

もちろん後者です。

ゼンタングル、そしてそこから生まれてくる楽しさを伝える、それができれば嬉しいと思っています。

 

追伸

私は美術館なんかで絵を見ても、よくわからないので「ふーん。素敵ねぇ」ぐらいなんですが、こんな私でも見てその場から動けなくなった作品というのがあります。それはウォーホールの「電子椅子」という作品。これは衝撃的でした。でも後にも先にもこの絵だけ…身体が反応したのは😅

これです↓

https://www.shiga-kinbi.jp/db/?p=450